2004/01/26
18日の日曜日、全国のマクドナルドはいつもより多い客でにぎわった。日本マクドナルドが打ち出した、無料引換券一〇〇〇万枚を配布する「マック・ハンバーガーデー」のキャンペーン効果だ。この日は「通常の日曜に比べ二六%アップの売上げ」(広報)を記録したという。
日本マクドナルドがこうした無料引き換えキャンペーンを行うのは初めてのこと。オーストラリア産牛の使用をアピールし、「ハンバーガーの安全性とおいしさを再認識してもらいたい」と、BSE(牛海綿状脳症)騒動をバネにしてPRに売って出た。
二〇〇一年の国内のBSE発生時と異なり、消費者の風評被害は少ない。昨年12月の既存� ��売上げは一・六%増と三ヵ月連続の増収、BSEによる売上げへの影響は小さいという。
一方、様相を大きく変えているのが牛丼チェーンだ。吉野家には見慣れぬ「カレー丼」の垂れ幕がかかり始めた。2月には米国産牛肉の在庫が底をつき、吉野家のほとんどの店頭から牛丼が消える。
かつて安売り競争を仕掛け、デフレの寵児といわれた両者に、BSEは異なるてん末をつきつけた。明暗を分けた理由は両者の危機管理意識の差だ。
グローバル企業のマクドナルドは、英国のBSEの洗礼を受けている。当時の英国ではハンバーガーに牛の脳を混入することが許されていたため、BSEとの関連性を疑われて売上げが激減した。このときマクドナルドは、牛肉の調達ルートの変更を行い、ナゲットやポークリブ� �いった牛肉以外のメニューの多様化、カフェやサンドイッチなどハンバーガー以外の業態の多角化を進めた。日本のマクドナルドもメニュー構成でみると、牛肉への依存率は三割足らずに過ぎない。
またマクドナルドには有名な「グローバル・パーチェシング」という全世界からの食材調達システムがある。これが日本で五九円という激安バーガーを可能にしたわけだが、世界中から同一品質の食材を手当てできるこのシステムは、リスクを分散する究極の危機管理対策でもある。ミートパテはオーストラリア、ニュージーランド、米国のどの国からも調達可能だ。またイスラム、インドなど宗教色の強い国のために開発した植物性タンパクのパテもある。
日本ではポテトを揚げる油に牛脂を使っていたが、今回すばやくそ� ��を植物油に切り替えできたのも、すでにこうした代替品をいつでも使えるからだ。食材から調理システムまで、一から開発しようと思えば一年以上はかかるだろう。
そして、まさにその対極にあるのが吉野家だ。単品メニューで合理化を図り、利益率を高めるという政策が裏目に出た。安部社長にしてみれば、リスクを承知の上で、トップブランドを死守するための賭けだったに違いない。ほかの牛丼チェーンが、国内でBSEが発症した時から牛肉以外のメニューに力を入れてきたのに対し、「うちは定食屋じゃない」と突っぱねてきた。米国以外の調達ルートの開拓も実質行ってはいなかった。
牛丼がなくなった後は代替メニューでしのぐというが、吉野家の厨房には、牛丼用の鍋と湯煎器だけしかなく、競合の松屋が 本格的なグリドル、大型電子レンジ二台などを備えているのに対して、メニューの幅も味にも限界がある。
安部社長は「牛丼がなくなっても、資金は潤沢にあり、経営の不安はない」と豪語するが、弱体化した吉野家がこのままでいられるはずがない。松屋やすき家にとっては、吉野家との差を縮める千載一遇のチャンスだ。
米国産牛肉の輸入は今月末現在、日本政府は米国の安全対策が不十分として、全頭検査と同等の対応を求める方針は変えておらず、再開のめどは立っていない。エグゼクティブトレードの関係者によると、仮に禁輸が解けても、以前のような二八〇円の牛丼を出せる見込みは低く、牛丼業界の地図が塗り変わる可能性がある。
また、吉野家を買収し傘下におさめようと虎視眈々と狙ってきた食� ��メーカーや商社が動き出す。これまで吉野家は高い収益性、高効率化で、安部社長の強いリーダーシップの下、ほかの企業に介入する隙を見せなかった。しかし今後は、安部社長の責任を問う声も出るなど会社の弱体化は否めない。
株価が下がったら買収のチャンス。皆それを狙ってくるはずだ。筆頭株主の西洋フードシステムズと大株主の伊藤忠グループの動き、誰が吉野家を買収にかかるかが今後の焦点になるだろう。
[特集]始まった回復、見えない戦略 マクドナルドは甦(よみがえ)るか
2004/01/17
外食の雄、マクドナルドの危機は日本だけではない。本国アメリカでも創業来初の赤字を出し、一時は世界的危機的状況を呈した。
昨年、いち早く回復を遂げたのは米国マクドナルドだった。余勢を駆っ� �、日本へ役員陣を派遣、米国式戦術の導入を迫る。
出店戦略と価格戦略のもつれに疲弊し、創業者・藤田田氏まで失った今の日本マクドナルドには多分、米国式でも何式でも一定の効果は上がるだろう。しかし、その先の戦略――いちばん必要なそれが、見えてこない。
どん底まで落ちた米国マックの「回復」
いち早く既存店売上高が回復した米国。「原点回帰政策」はとりあえず及第点だが、課題は山積みだ。
「傾いた船を立て直せ」
ちょうど1年前、米国マクドナルドの会長兼CEOに就任したジム・カンタルポ氏が全世界の従業員に発したメッセージには、悲壮な危機感がみなぎっていた。
カンタルポ会長の前任であるジャック・グリーンバーグ氏は財務畑出身。世界的に大量出店を続ける一方 で、単一ブランドでの成長に限界を感じ業態多角化を進めてきた。現場からのたたき上げがトップに就くのが慣例だったマクドナルドでは、同氏は異色の存在だった。マクドナルドがグローバル企業として成長していくうえで必要な人事だと思われたが、結果としてグリーンバーグ政権下で、現場の競争力は衰退した。
そこで第一線の立て直しをすべく、2001年に副会長兼社長を最後に退任していたカンタルポ氏が、急きょ呼び戻されたのだ。
マクドナルドは119カ国に3万1000もの店舗を持ち、毎日4700万食を提供している。シンボルである「ゴールデンアーチ」ともども、全世界で最も知られたブランドの一つといっていいだろう。
面接の不安に私たちの大学の記事
そのガリバーが01年から02年にかけ、同時多発的な危機に見舞われた。本家の米国では01年度、02年度と連続で減益。02年度第4四半期には3億4880万ドルの赤字に転落した。マクドナルド始まって以来最悪の事態である。昨年3月には株価が12ドル12セントに下落、8年ぶりの安値をつけた。
同じ時期、世界第2位の市場である日本でも、マクドナルドブランドは消費者に失望感を与えていた。02年には通期赤字に転落。日本マクドナルドの店舗数は約3800を数え、3〜5位を占めるカナダ、イギリス、ドイツを足したよりも多い。二本柱が揺らぐ状況下、マクドナルドは「原点回帰」へ舵を切った。
かつてマクド� �ルドは、きびきびしたサービスに定評があった。ところが、実はこうしたイメージはこの数年で急速に失われている。
ミシガン大学の米国顧客満足度指数(ACSI)によると、大手ファストフードブランドの中でマクドナルドの評価はなんと最低。これは調査が始まった1994年から毎年、変わらない。100点満点の61点という現在のマクドナルドのスコアは、調査が始まった年と比べてさらに3・2ポイント低下した。
米国では売り上げの85%がフランチャイズ(FC)加盟店によるものだが、本部と加盟店との関係も悪化した。スミス・バーニーが行った調査によると、加盟店の65%は本部との関係を5段階評価(5が最高で1が最低)の「2」と評価している。経営費用の増大、品質評価システムの混乱� ��新しい宣伝に対する不満などが渦巻いているのだ。
就任直後にカンタルポ氏は「マクドナルドは、新規店舗開店よりも既存店の売上高向上のほうに焦点を当てる」と宣言。マクドナルドは、新たな客を引きつけ、従来の客にもっと頻繁に来店してもらうことに照準を当てた。
これは、従来猛烈なペースで新規店舗を開店することに依存してきた企業戦略の大転換にほかならなかった。00年には2000を超えていた全世界での店舗の純増数は、03年は360店にとどまった(78ページ上グラフ)。
米国マクドナルドは、ファストフード業界でも店舗網拡大にとりわけ熱心だ。マクドナルド本部が店舗の土地あるいはその賃借権を用意して、それをFC加盟店に転貸するという点で競合他社と異なる。独立した� �業者である加盟店に立地を選ばせるより、高速出店が可能な一方、ともすれば店舗を粗製濫造するリスクもある。カンタルポ氏は、出店を絞り、オペレーションを見直すことに活路を見いだした。
既存店売り上げの回復基調は定着したが…
結果はほどなくして出た。昨年4月以降、米国マクドナルドの既存店売り上げは前年同期比プラスに転換。特に、ゲームによる販売促進を展開した10月には15・1%増と大幅に伸びた(78ページ下グラフ)。
ACSIの調査を行っているミシガン大学ビジネススクールのクラース・フォーネル教授も「2月に行われる次回の調査では、スコアは上昇するだろう」という。
ただ、マクドナルドが完全に復活したと見るのはまだ早い。
「マクドナルドは安定した� ��長を取り戻すことはできないと思う。ファストフード市場は超飽和状態にある。競争に勝つためには、さらなる向上を目指さなければならない」(スタンダード&プアーズのジェラルド・ヒアシベック氏)。何しろ、単一ブランドでここまで成長したフードサービス業はほかに例がない。地球上にあまねく知れ渡ったブランドが、消費者の「飽き」を乗り越えられるかどうかも未知数である。
ブランドイメージの刷新に向け、マクドナルドはヤングアダルト、若い母親と子供を対象とした「I'm lovin'it」という統一キャンペーンを全世界で展開中だ。「2〜3年かけて、世界中の店舗で使える共通の要素を見つけていく」と担当副社長のディーン・バレット氏はいう。このキャンペーンは、ハンバーガー事業の活性� ��だけが狙いではない。マック・ブランドの潜在力を使い、音楽、ファッション、スポーツなどをターゲットにしている。ディズニーやマテル・アンド・ハズブロなどの子供用衣料会社にマック・ブランドをライセンス供与する動きもある。
はたしてマックはハンバーガー屋以上のものに変身できるのか――当座の窮地を脱し、ブランド再構築へ本腰を入れ始めた矢先、BSE(牛海綿状脳症)問題が発生。しばらくは事態の収拾に労力を割かざるを得ない。米国マックが完全復活を宣言するには、道程はあまりに長い。
Operation Improvement Project)」の下、"カイゼン"に励む
<Column>
ジャンクフードの汚名返上はなるか
2002年に米マクドナルドは、ニュ ーヨークの肥満したティーンエージャー2人から、「商品の潜在的悪影響を周知させなかった」として訴えられた(昨年9月に棄却)。マックにとって、「ジャンクフード」の汚名返上は永遠の課題だ。
そんなマックが期待を寄せているのが、ファストフード業界のサラダ・ブームである。市場調査会社のNPDグループによれば、米国のファストフード店でのサラダの注文は02年6月から03年5月までの1年間に12%増加した。マックもこの市場の攻略に懸命だ。俳優のポール・ニューマン氏を起用したキャンペーンに加え、一部地域ではサラダを買うと万歩計と運動の教本ももらえるといった試みを行っている。この企画は今年、全国規模で展開される予定だ。
「よい食品、悪い食品というものはない。さまざま� �食品を取るべきで、選択肢の多さがわれわれの強みだ」とマックの専属栄養士は語る。さて、この主張はどこまで消費者に受け入れられるだろうか。
[特集]マクドナルドは甦るか−米国の成功体験は日本でも通用するか
2004/01/17
ドナヒュー新会長の下、「米国方式」を次々と試行する日本。即効薬としては強力だが、怖さもはらむ。
東京・西新宿にある日本マクドナルド本社。年初の仕事始めには、創業者の藤田田氏が社員を集めて年頭の辞を述べるのが慣例だった。「マクドナルド艦隊、発進!」といったアナクロ調になかば辟易しながらも、どんなメッセージが飛び出すかは、社員の楽しみでもあった。
疼痛管理、南カリフォルニア
藤田氏に代わって昨年から日本マクドナルドの全権を掌握したパット・ドナヒュー会長は、アルバイトからのたたき上げで実務家肌だ。藤田流のけれんとは無縁の人物である。当然、今年の仕事始めはセレモニーのたぐいもなく、極めてビジネスライクなものだったという。藤田色の一掃を象徴する形で、日本マクドナルドの新年は幕を開けた。
これに先立つ昨年12月19日、ドナヒュー会長は、藤田氏が経営する藤田商店との経営指導契約打ち切りを発表。席上で「この数カ月の活動が奏功している。今回の決定はマクドナルドの将来に明るい将来をもたらすと信じている」と言明し、マクドナルドが回復基調にあることを強調してみせた。日本マクド� �ルドの既存店売り上げは24カ月連続でマイナスを続けてきたが、昨年10月にわずかながらプラスに転換。11月、12月もプラスを維持している。
藤田商店との契約打ち切りは必然だったといっていい。日本マクドナルドは、藤田商店に全チェーン売上高の0・5%に相当する金額を経営指導料として支払ってきた。これを打ち切れば、利益率はそれだけ上昇する。巨額の指導料に見合うサービスを享受しているのかは、不明瞭事項として常々指摘されていたところ。今回の関係解消は、創業家との不透明な関係を清算し、マックを「普通の会社」にするというドナヒュー会長の強いメッセージである。
拡大路線を導いたマックの「本能」
藤田時代のマックには、売り上げの極大化を求める「本能」がセットされ ていた。藤田商店へのコンサルティングフィーは売り上げ連動(2000年までは全チェーン売上高の1%)だったため、経営トップには採算よりも増収に向けたインセンティブが働くようになっていた。
それが顕著に現れたのが、1995年から始まった大量出店戦略である。この年から01年まで、年間300店以上の出店が7年にわたって続いた。大規模店舗の周囲に小型店を多数配置し、店長を兼任させるという「サテライト店」戦略がその主軸を担った。
背景にあったのは、94年の大店法規制の緩和である。スーパー各社はかつてないほどの出店競争を繰り広げていた。大型ショッピングセンターだけでなく、食品スーパーなどの比較的小さい店舗にまでテナントとしてマックは出店していった。
サテラ� ��ト店は軽装備で、損益分岐点も低い。自社店舗同士で競合が発生し、既存店売り上げが落ち込んでも、全体でパイを広げられれば十分に採算が合うというのがマック側の計算だった。
「世の中が終わってもうちは売れる。安い値段で買えるから、経済が悪くなるほど客は来る」「06年には年商1兆円を目指し、いずれは日本の10大企業の仲間入りだ」。出店攻勢を続けながらも、既存店売り上げがほぼ横ばいを維持していた98年当時、藤田氏は低価格・大量出店戦略に絶対の自信を示していた。上場を視野に入れ、マックの将来性を資本市場にアピールしようとした計算もあっただろう。
だがその後、既存店売り上げが想定以上に急落したことで、この思惑は見事に裏切られた(81ページグラフ)。02年以降、マ ックは不採算店を続々と閉鎖しているが、ほとんどは大量出店時代に新設したサテライト店だ。
マックの業績不振の原因としては、低価格戦略の失敗が喧伝されている。だが、そもそもの出発点には、これらサテライト店の増殖と低迷があった。サテライト店の低迷が明らかになるにつれ、価格引き下げでその集客力をテコ入れする必要が出ていたのだ。既存店売り上げが99年に大きく落ち込んだのを受けて、2000年には「平日半額」(ハンバーガーが平日は65円)を開始する。
01年7月に店頭上場を実現、既存店売り上げが多少持ち直したのを見て安心したのか、02年に80円へ値上げしたところ、既存店売り上げがすぐさま急落。実施した2月から6カ月にわたり2ケタのマイナスを続けた。そのために、� �び価格破壊に打って出たのが「59円バーガー」である。徹底した安値でライバルを蹴落とそうという、捨て身の戦法だ。
ある大手スーパーの幹部は「系列のファミレスが、59円バーガーと同じ仕様のハンバーガーを作ったら54〜55円かかった。マックの原価は推定で30円を切る。マックの物量の威力を思い知らされた」と振り返る。
単一業態で3800店を擁するに至ったマックでしかできない作戦だったのは確かだ。しかし、単品でのディスカウントで客数を増やそうという戦略には限界があった。
外部から起用され、昨年7月にマックのマーケティング本部長に就いた川平謙慈氏は、「ディスカウント戦略の狙いは客数の獲得にあるが、増やしたお客に満足感を与えるのに失敗した」と総括する。
大量出店と価格戦略に翻弄され、この数年の現場のオペレーションには相当の混乱が見られた(84ページコラム参照)。相次ぐ新規出店に伴い店長の異動が続発し、経験値も低下。「平均2年周期だった店長のローテーションが1年半くらいまで短縮されていた。今後は元に戻し、店長の負担を軽減させる」。小川敦之・営業統括部長の言葉に象徴されるように、今マックは原点回帰に懸命だ。
"底打ち後"に露呈する日米ギャップ問題
昨夏にはファストフードの原点である迅速なサービスを徹底させようと、注文から精算までを60秒で終えるキャンペーンを展開。10月からは注文された商品の入れ忘れ撲滅キャンペーンを開始した。これらに接客サービスを加えた基本3項目について、定期的に社内キャンペーン� ��実施して水準向上を目指す。スピードが向上すれば、昼食などのピーク時により多くの来店が期待できる。そうして得た顧客を、サービスの向上でつなぎ留める算段だ。
59円バーガーのイメージが消費者に刷り込まれ、価格帯の引き上げは容易でない。当面は、サービス価格でセットを提供する「スマートセービング」を武器に、比較的採算のよいドリンク、フライドポテトの販売比率引き上げに注力する。並行して、オペレーション力の向上によって客数を積み上げていくほかない。
芸術や不安に関する質問
店舗の再編も急ぐ。今年は出店・閉鎖が70ずつで拮抗する模様だが、来期以降も閉店は継続。同時に年間100億円を投じて店舗の改装を進める。八木康行社長は「スーパーに出た店は、テイクアウト売り場になってしまっていた。単なるハンバーガースタンドではなく、マクドナルド・ブランドを支える店づくりが必要だ」と反省する。厨房をガラス張りにして開放感を出すなど、改装で小型店の集客力を回復する方針だ。
希望退職や本社機構のスリム化などで年間20億円の経費が圧縮できる見通しだが、その分は店舗クルー(アルバイト、パート従業員)の給与など第一線の活性化に回す。経営資源を店舗に集中することで、「04年の売上高は1ケタ増 だが、かなり強含みの数字になるだろう。営業利益は2ケタ増を見込む。05年にはさらに成長に弾みがつく」とドナヒュー会長。
日本マクドナルドが使う牛肉は主に豪州産で、昨年12月末に米国でBSE感染牛が出たことは調達にほとんど影響しない。消費者の牛肉離れは気にかかるところだが、店舗のスクラップと改装が一巡すれば、マックの業績は一定の水準までは回復できるだろう。だが、その先にどんな企業像があるのかはまだ見えない。2月に公表される3カ年計画でも、そこまでは描けそうにない。
最悪期を脱したとき、あらためて浮上するのが、日米の意識ギャップの問題だ。「藤田氏子飼いの幹部は、今回の希望退職で一掃された」(食品メーカー幹部)。経営の中枢がすっぽり抜けた後で、米国出身� �経営陣と現場をつなぐパイプは細くなっている。「基本の徹底」は確かに重要だ。だが、経営陣と現場の意識共有なくしては、3800店を擁する巨大企業は空中分解しかねない。
<カコミ>
オペレーション改善が再生へのカギに
昼のピーク時の1.5時間は、1日の売り上げの25%を占める重要な時間帯だ。ここでいかに多くのお客をさばくかが売り上げに直結する。昨年夏に実施された「60秒キャンペーン」の成功率は85%。お客の79%がサービスを「早い」と評価。
<カコミ>
直撃
低価格戦略は変わらない とにかく基本に立ち戻る
日本マクドナルド会長 パット・ドナヒュー
●ブランド再生が至上命題
●今後3年は基本に立ち戻る
●低価格戦略は創業来のポリシーで不� �
――今年から始まる3年計画の基本的な考え方は何か。
もちろん日本市場でマクドナルド・ブランドを再生させることだ。
この数年、われわれのビジネスはフォーカスを失っていたうえ、お客にとって価値が感じられない戦術をとりがちだった。その結果として店舗のオペレーションが複雑化していた。今回の再生計画ではビジネスの基本に立ち戻る。
マーケティングのやり方も変えていく。広告費用も多大に投入するが、そのメッセージはできるかぎり合理化・簡素化していくつもりだ。これまでは、一定期間に5つも6つもメッセージを流していたが、今年からは2つ以上は同時に出さないと決めている。店舗にも情報があふれすぎていた。今年はメニューボード外で訴求する商品は2つだけにする。
< p> ――低価格戦略は今後も続けるのか。もちろんだ。創業以来、買い求めやすい値を付けることはわれわれのブランドには欠かせない。レイ・クロックが米国でマクドナルドを創業したとき、マクドナルドはよそで25〜30ドルだったハンバーガーを15ドルで売っていた。
59円バーガーは本当にお買い得だった。だが、そのバリューを追求するためには、毎日ハンバーガーだけを食べ続けなければならない。お客はもっとバラエティを求めていた。今取り組んでいるスマートセービングのコンセプトは、毎月セットを入れ替えるということ。今年からは毎月2つのセットを投入したい。また、朝食メニューにも適用していく。
さらに今年は定期的にクーポンを配布し、買い得感をより訴求していきたい。
� ��マクドナルドの哲学は個々のハンバーガーからの収益はわずかでも、それを多く売ることで儲けが出るというものだ。いちばん重要なのは、1つでも多くのハンバーガーを売ることだ。
――店舗政策はどうするのか。
現在、われわれはエネルギーを既存店強化に注いでいる。ブランドの再生後も90年代半ばのような年400〜500店の大量出店に戻ることはない。
――日本人従業員との間にコミュニケーションギャップはないか。
従業員からは、この数年の業績不振についての不安が聞かれる。もう一度、上昇基調に戻れるのかという懸念だ。リーダーが誰であれ、そうした懸念を払拭するための計画を打ち出すことが大事だ。重要なのは「マクドナルド人」であることで、国籍は問題ではない。
――直営店売り上げが全体の75%という事業構造を見直す可能性はあるか。
米国ではFCの比率が85%ほどだ。FC展開の意義は、直営より早く、よりよく収益を上げることにある。都市部は直営、地方はFCというのが合理的であり、都市化が進んだ日本で直営が多いのは理にかなっている。FCが何%であるべきだと決めつけるつもりはない。
――米国の持ち分を増やして日本法人を完全子会社にする考えはないか。
最優先課題は、日本でのブランド再生であり、このことはすべての利害関係者が納得している。それが達成された後に議論することはありうるが、現時点での持ち株比率引き上げは意味をなさない。
――何をもってブランドの再生と見なすのか。
定量化して考えたことはない。� �年度第4四半期もセールス、利益は改善しているが、まだ十分とは思わない。今年のすべての四半期を通して上昇基調が達成されれば、マクドナルド・ブランドが再生したといえるのではないか。
<カコミ>
激白
スカートまで破れる修羅場 若手OBが語る現場の混乱
90年代後半の大量出店期に入社、本社の朝令暮改に翻弄され続けた若手OBに、その胸中を吐露してもらった。
業績が急に悪化して、地域統括クラスの幹部が明らかにうろたえている。自社株を大量に持っている人たちが多いからだ。今の店長クラスはまだ会社に希望を持っているが、われわれの世代以下は……。店長にいつなれるかも分からないし。
社員は店舗で実績を積み店長に昇格していくのだが、その期間がどんどん長くなっている。昔は5年だったが、最近は10年以上。年間数百店出店した時代でも、実はそのほとんどはサテライト店といって近隣大型店の店長が兼任するタイプだったから、店長ポストが増えない。
数年前の入社当時は「3年経てば年間10.5カ月分のボーナスがもらえるぞ」とハッパをかけられていた。実際、黄金期は夏5カ月、冬5カ月、期末に4カ月分のボーナスが出たらしい。ただその分、残業は付けない。マックは店舗ごとの損益管理を徹底しており、社員の給料も配属店の売り上げから出る。社員は寝食忘れて働き、人件費などのコストは絞り込む。それで店の収益が向上すれば、結果、 ボーナスで見返りがあるという図式。だが、それも右肩上がりの時代の話だ。
社員の意識も変わった。昔は配属先の店のクルー(アルバイトやパート従業員)と交流するために「いつも財布には3万円入れておけ」と先輩に言われていた。休憩時に飲み物を差し入れたり、閉店後に飲みにつれていくためだ。ただ最近の若い社員はそうした慣習を嫌う。本社も「社員は店舗にスーツを着て出勤しろ」と指導する。大企業になっていく過程で、ハンバーガー屋であり食い物屋であるという精神が失われていった気がする。
低価格戦略は現場に混乱をもたらした。ハンバーガーが59円なら、学生たちは「ハンバーガー3つと水」などと平気で注文する。当時私のいた店では客単価は280円、1日の売上高は60万円以下に激� �した。これだとクルーは4人しか雇えない。それでもピーク時には30分で100人からの客をさばかないといけない。店の女性クルーのスカートはみんな破れていた。上層階の客席にはつねに駆け上がるからだ。
最近は価格戦略も商品戦略も二転三転。1年間同じ値段が続くなら対策を練られるが、こう変えられればクルーにも説明できない。昨年、「セットにチキンナゲットを150円で付ける」という新プランが通達されたことがあった。店内広告も作成し、POSレジのボタン配置も替え、準備万端整った段階で「鶏の供給が間に合わない」と突如、中止。こんな現場の混乱と苦労を本社は知っているのか。
復帰組CEO、米で続々――抜群の求心力でリストラ断行。
2003/12/29
「人事停滞」懸念 引き際難し� ��
米産業界でいったん第一線を退いた経営者が復帰する例が相次いでいる。抜群の求心力を買われ、業績悪化や不祥事で混乱した社内を引き締めるリリーフ役を期待されての再登板。ただ、在任が長引けば若手幹部のやる気をそぐ恐れもある。
米化学大手ダウ・ケミカルが社員の昇給凍結を今年いっぱいで打ち切る検討を始めた。昨年まで二年連続で最終赤字を計上したが、今年に入って三・四半期続けて黒字を確保しているためだ。
原動力はリストラ。一―九月期に三千百人を削減、販管費は前年同期より三億八千万ドル減った。主導したのは、昨年末に最高経営責任者(CEO)に復帰したウィリアム・スタブロプロス会長だ。
年明けと同時に管理職と次々に面談し、"非常事態"を宣言。「我々の将来の� ��めに直ちに動き始めよう」と訴え、採用・転勤の即時凍結、社内表彰の半年先延ばしなどを矢継ぎ早に打ち出した。
第一線に復帰するほどの経営者は通常、輝かしい実績を誇り成功体験を社員と共有している。言葉は説得力を持ち、求心力の高まりがリストラを加速させる。
米マクドナルドは今年初め、その一年前に副会長兼社長を退いたジム・カンタルポ氏を会長兼CEOに呼び戻した。背後にあったのは株主の圧力。不採算店舗の閉鎖や顧客サービスの徹底などで七―九月期は二ケタの増収増益となった。
七―九月期に二年半ぶりの黒字転換を果たした米コーニングのジェームズ・ホートン会長兼CEOも復帰組。強烈なリストラを進めながらも、液晶ディスプレーなど成長分野の育成も進めた。
米ルー� ��ント・テクノロジーズの黒字浮上は三年ぶり。リストラを主導したパトリシア・ルーソー会長兼CEOは米イーストマン・コダックの社長に転じていたが、再建役に呼び戻された。同氏は成功報酬として巨額のボーナスを手にした。
これまでの米企業なら外部から招いたCEOが再建役を担った。だが、社内掌握に時間を要し経営の空白を避けられない。各社とも「経営を根底から変えるリスクは冒したくない」(ペンシルベニア大のマイケル・ユシーム教授)のが本音だ。
不祥事に揺れる米ボーイングは十二月初め、前副会長のハリー・ストーンサイファー氏がCEOに就任した。民間機需要の長期低迷で軍需部門を重視した再建を迫られるなかで、一九九七年に吸収合併した旧マクドネル・ダグラスのトップで国防総省 からの信頼が厚い同氏は適任だった。
同氏は「取締役会と健康が許す限り続ける」と宣言、中継ぎ役との見方を否定する。一時は外部招へいも検討したとされる取締役会も、同氏を定年内規の例外とした。
ただ、復帰組のCEOにとって引き際の決断は難しい。「長期政権を敷けば人事が停滞する」(ユシーム教授)からだ。ダウ・ケミカルのスタブロプロスCEOは十一月、四十九歳の幹部を社長兼最高執行責任者に昇格させた。次期CEO含みとみられ、自ら退路を開いた格好だ。
【表】米企業の主な復帰組CEO
○ボーイングのハリー・ストーンサイファー氏
防衛案件の受注を巡る不正疑惑でフィル・コンディット会長兼CEOが引責辞任した後を受け、2003年12月就任。2002年に副会長を� �任していた
○ダウ・ケミカルのウィリアム・スタブロプロス氏
業績悪化でマイケル・パーカー社長兼CEOを解任、2002年12月に就任。2000年までCEOを務め、その後は会長職に専念していた
○マクドナルドのジム・カンタルポ氏
業績不振で退任したジャック・グリーンバーグ会長兼CEOの後を受け、2003年1月就任。2001年末副会長兼社長を辞め引退していた
○コーニングのジェームズ・ホートン氏
2002年4月、ジョン・ルース社長兼CEOの退任を受けCEOを兼務。創業家の子孫で96年まで会長兼CEOを務めた後に退任。業績悪化のために2001年から会長に復帰
○ルーセント・テクノロジーズのパトリシア・ルーソー氏
イーストマン・コダックの社長兼� ��EOに就任したが、9カ月後の2002年1月に古巣のCEOに就任。ヘンリー・シャクト会長兼CEOの後継探しが難航した結果とされる
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